ヴァレリー・ラルボー『幼なごころ』

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「20世紀初頭の忘れられた小作家になりたい」―こんな願いのもと翻訳と批評によって英米伊西の文壇を縦横に結び、ジョイスの最初の仏訳者となったラルボージードに献じた「包丁」他「幼なごころ」の10篇は、フランス版〈子供の情景〉といっていい。作家に愛される作家だった一代の文章家の、幸福な忘れ形見。
                      (解説・堀江敏幸)(2005年発行、岩波文庫

ラルボーの短編集。10話の宝石のような短編が収められています。

印象に残った作品は「ローズ・ルルダン」「包丁」「《顔》との1時間」「夏休みの宿題」といったところでしょうか。

ラルボー自身の少年時代を描いたような自伝的短編や不安定な思春期の少女たちの心の揺れを描いた作品など、表題どおり「幼い頃のエピソード」が中心です。

「ローズ・ルルダン」はある女優となった女性の回想というかたちで語られます。
少女時代の寄宿生活の秘めた思い、辛い思い出などが一人の上級生の少女ローザ・ケスレルをめぐる熱っぽいあこがれ、を中心に描かれていきます。

12歳の少女ローズがあこがれを抱いたひとつ年上の上級生ローザ・ケスレルは、美しく少し不良っぽさを併せ持つ少女だった。

いつもお気に入りの同級生や上級生と腕を組んで歩くローザを陰から見つめながら、激しい恋心をつのらせていたローズ。

思いはつのり、自分の名前をわざとローザと間違えて署名したり、すれ違う時に思いを込めて視線をおくったり。しかし、恥ずかしさ、怖さが先にたって話しかけることさえなかなか出来ない内気なローズだった。

あこがれる少女の着替え用の制服に顔を埋め、ベルトの名前に口付けをするそんな行動しかできなかった。

やがてローザ・ケスレルは、ある美しい女性教師との悪い噂を残して学校を去っていく。
残されたローズ・ルルダンは、自分の秘めた思いが、他の生徒たちに知れ渡っていた事を知る。

私はこの話が一番好きです。「包丁」はちょっと子供時代特有の残酷さが胸に痛くて・・。プルーストはこの作品を読んだときの感動があまりに強烈で、一年以上たった今でもまだ少し胸が痛む、と言ってます。

「《顔》との1時間」はマントルピースの大理石の石目に浮かぶ「顔」の模様を一心に見つめる幼い子供の視線が印象的でした。
歌のレッスンに遅れている先生が、このまま授業をすっぽかしてくれるように祈りながら、大理石の中の「顔」と夢想を始める。

「夏休みの宿題」
かなり成績を落としてしまった「ぼく」は夏休みに、熱心に勉強することを誓う。

きれいな紙、ペン先、定規、おおきな消しゴムなどなどを買い込んで、丹念に夏休みの宿題をやろうと決意する。

そして、夏の避暑地へ赴いた「ぼく」は、現地での交友や行事に忙殺されてなかなか勉強にとりかかることができない。
勢い込んで買ってきたライプニッツの「単子論」も難しくて2回も読んだのに、理解できないし。

そして、夏の避暑地に集まる美しい少女たち。貴族の娘や花売り娘、何人もの女の子に魅せられ恋をしてしまう。

そんな「ぼく」は、詩人のように彼女達へ捧げる詩を作ったり、むっつりと自分の殻にこもったりと少しずつ大人になっていく。

本当につつましやかな小品ばかりでした。
そして、不思議なことに心に残る作品が少なからずありました。
読み終えたのは一月も前のことなのに、「ローズ・ルルダン」の一節や「包丁」のラストなど、不思議な色彩を帯びて残っているのです。
夢中になって読みふけるタイプの小説ではありません。
難しい哲学も思索もないのです。
しかし、その語り口や色調が、美しい夕暮れの鐘のように心の底にいつまでも響き続ける作品でした。

蛇足
この岩波文庫版は、訳者の岩崎力さんが撮影したラルボーをめぐる様々な写真が20枚も載っていて興味深く見ることができます。書斎の写真もあり、さすがの蔵書量でした。