岩波少年文庫(1950年版)

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私の手元に2冊の茶色く変色した岩波の児童文庫があります。

亡き父の本で「小さい牛追い」「牛追いの冬」というタイトルです。

奥付を見ると昭和25年12月25日発行、定価100円となっています。

岩波少年文庫4と6とあり、1950年(昭和25年)に創刊した岩波少年文庫がクリスマスに向けて出版した児童文庫ではないかと推測されます。

石井桃子訳のこの2冊は、その後も版を新しくして今でも改版がちゃんと販売されています。
内容はノルウェーの田舎に住む少年たち一家の素朴で心温まるお話です。とても素晴らしい山の暮らしが描かれていて少年の成長の記録としても読めるお薦めの児童書です。

1950年というと戦後5年、ちょっと調べてみるだけで「金閣寺焼失」「朝鮮戦争勃発」「世界初のF1レース」「自衛隊の前身、警察予備隊発足」などなど大事件や、現在の日本の礎になるような組織が生まれたり、激動の年でした。

そんな中、発刊された岩波少年文庫も、時代の波の影響を受けいさましい発刊の言葉を掲げています。

 一物も残さず焼き払われた街に、草が萌え出し、いためつけられた街路樹からも、若々しい枝が空に向かって伸びていった。戦後、いたるところに見た草木の、あのめざましい姿は、私たちに、いま何を大切にし、何に期待すべきかを教える。未曾有の崩壊を経て、まだ立ち直らない今日の日本に、少年期を過ごしつつある人々こそ、私たちの社会にとって、正にあのみずみずしい草の葉であり若々しい枝なのである。
 この文庫は日本のこの新しい萌芽に対する深い期待から生まれた。この萌芽に明るい陽光をさし入れ、豊かな水分を培うことが、この文庫の目的である。

あの敗戦から5年、日本の知識層がこれから育っていく若い少年少女たちに、豊かな情操、知識を与えようとする気負いや、決意がなんとも大仰ではありますが、すがすがしさも感じます。

この頃海外文学とくに児童文学の翻訳は、杜撰で改ざんが横行し質の低いものが多く流通していました。そのことに触れて以下のように述べています。

私たちがこの文庫の発足を決心したのも、一つには、多年にわたるこの弊害を除き、名作にふさわしい定訳を、日本に作ることの必要を痛感したからである。翻訳は、あくまで原作の真の姿を伝えることを期すると共に、訳文は平明、どこまでも少年諸君に親しみ深いものとするつもりである。(中略)
私たちの努力が、多少とも所期の成果をあげ、この文庫が都市はもちろん、農村の隅々にまで普及する日が来るならば、それは、ただ私たちだけの喜びではないであろう。

今では、正確な翻訳が当たり前のようになっている日本ですが、この頃の岩波始め、多くの出版社や、翻訳家の努力が実を結んで、私たちがその果実を享受できるのだと思いました。

 活字離れなどという現象が起きる今の時代、この頃の活字、小説、文学に飢えるような気持ちはどこへいってしまったのでしょうね。
新刊本もサイクルがどんどん短くなって書店から消えてゆく傾向はいつから始まったのでしょう。


先日、実家に帰り偶然本棚の隅に埋もれていた2冊の本を見つけ、こんな記事を書いてみた次第です。