恩田 陸 『三月は深き紅の淵を』

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あちこちで恩田陸が好きだとコメントしている私ですが、中でもベスト1がこの「三月は深き紅の淵を」なのです。

この度やっと文庫版を入手しました。(遅い!)
再会した「三月~」の世界は、やはり素晴らしく深い書物の森のようなところでした。

楽家としての自覚に目覚めたこの頃、再読してみて何故あんなに心惹かれたのかが分かりました。

この本は、恩田陸が自分のなかにある物語の生まれる秘密を、謎めいた1冊の書物にたとえたある種の秘義を著した本なのではないでしょうか。

小説・物語。恩田陸にとって小説を書くことは、イコール物語を語ることなのでしょう。

作中の人物にこう言わせています。

「でも、私は楽しくってね。物語が進行中である、というこの瞬間が楽しい。いつまでも終わってほしくない。そうは思わないかね?」

本を閉じたあとも、本の外に地平線が広がり、どこまでも風が吹き渡るような話。目を閉じれば、モザイクのようなきらきらした断片が残像のように蘇る話。
愛と人生の謎が秘められた、持った瞬間にずしりとした重さを感じる果実のような物語。

作者の物語、書物に向けられた熱い思いが、密やかなほの暗い文体で静かに語られていくのです。
そして、いくつもの謎めいた物たちが、ちりばめられて贅沢なミステリの体裁もとられています。

謎めいた本「三月は深き紅の淵を」をめぐる4つの物語。

ここで、作者は内側の物語、外側の物語という入れ子のような構成をとっています。謎の本を探し、作者を突き止めようと旅をする編集者や、本を捜し求める老人たち。

物語の中の人物は「三月~」の本の中に囚われたまま、「三月~」を求め探し続けるのです。

さらに、第4部ではまるで恩田陸自身が独白するような不思議な展開になり、読者である私たちは自分が手にして読んでいる本の中にはまり込むような眩暈を感じてしまいます。

 様々な仕掛け、「小泉八雲」「黒と茶の幻想」などの不思議な暗喩、いくつもの恩田陸が贅沢にちりばめた古今の名作もまた、この作品に深みを与えているのです。

特にあらすじについては書きませんでした。

内容は知らない方が楽しめる、あたりまえのことですから。
この感想文を、この小説の中に出てくる最も印象的なこの文で締めくくろうとおもいます。

「いいものを読むことは書くことよ。うんといい小説を読むとね、行間の奥の方に、自分がいつか書くはずのもう一つの小説が見えるような気がするってことない?」

ノスタルジアの作家恩田陸の今後はまだまだ刺激的で目が離せそうもありません。