恩田陸 『黒と茶の幻想』

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出版社/著者からの内容紹介
華麗にして「美しい謎」
恩田陸の全てがつまった最高長編

――目の前に、こんなにも雄大な森がひろがっているというのに、あたしは見えない森のことを考えていたのだ。どこか狭い場所で眠っている巨大な森のことを。
学生時代の同級生だった利枝子、彰彦、蒔生、節子。卒業から十数年を経て、4人はY島へ旅をする。太古の森林の中で、心中に去来するのは閉ざされた「過去」の闇。旅の終わりまでに謎の織りなす綾は解けるのか……?

恩田陸は私にとって特別な作家の一人ですが、彼女の作品を読みふけって楽しむ事は容易くても、作品について書こうと思うととても難しいことに気付きます。
 恩田ワールドは、例えて言えば上野公園のようなところで、動物園もあればコンサート会場も美術館もある。あちらには恐竜の骨を展示している博物館もあるといったような無限のジャンルと広がりをもっているからです。
それも完成していない永遠に工事中の公園なので、自分が今どこを歩いているのか、よくわからないような気分になってしまうのです。
動物園にいると思ったら巨大な彫刻の前に立っていたり、広々とした公園のベンチに座って鳩に豆を撒いていたりするので、油断がならないのです。
大分前にこの「黒と茶の幻想」を読了していながら、なかなか記事にすることが出来ず、こうしてようやく筆をとった訳なのですが、やはり迷宮の中で手探りをしているような記事になってしまいました。

この作品は「三月は深い紅の淵を」の一章として紹介されていたものと思われますが。
40代にさしかかろうとする4人の男女が集まって屋久島(Y島)へ旅をする話です。それぞれの独白が4章に分かれているのですが、彼らが旅を進めるにつれて過去の回想も次々と現れ色々な謎が解き明かされていくようになっていきます。
ロードムービーのような安楽椅子探偵ミステリのような作品でした。
しかし、いったい何が起きたのか、最初は回想シーンも現実の旅行も取り立てて事件が起きることもなく淡々と話は進んでいきます。
旅の目的は「美しい謎」の解明だ、という彰彦の意気込みも、何かとってつけたような感があります。なのに登場人物のおしゃべりに引き込まれてしまうのは何故だろう。
Y島の美しい自然の中で独白する4人の内面は思っても見なかった自分探しの旅へと出て行きます。

そこで彼らが出会った過去は「麦の海に沈む果実」で登場した憂理でした。

美しく繊細だった女優、壊れやすい破滅願望を秘めた女性。

憂理の演じる一人芝居。
赤いリボンの軌跡が鮮烈に残像を焼き付ける。

愛するもの、愛されるもの、表面にあらわれた事象が真実とは限らない。

物語は進み、彼らはY島の一番高いところにあるというJ杉のある森へ導かれていきます。その側には「心に疚しいところのある人間には見えない」と言い伝えられている「三顧の桜」があるという。仲間同士の気楽な観光旅行だったY島への旅は美しい謎を追いかけるうちに奇妙な緊張感をはらみ、彼ら自身気付かなかった過去の秘密が浮かび上がってきます。
それは、忌まわしくもあり、限りなく美しくもある謎でした。
解かれてしまった謎はもう美しくはありません。
ただの解答です。

でも、私はこの作品のラストがとても好きです。
感動が高まるとかではなく、ああ、そうだったんだ、と納得できるような優しい終わり方でした。

恩田陸の小説世界の一部(三月シリーズ)である本書は、これだけを切り取ってどうこう評するのもアリなのですが、やはり今までのシリーズの中での位置づけや、これから書かれるであろう作品との関連まで予想しながら読んでいくのも、又、読者の楽しみなのです。




蛇足ですが・・・。
「三月は深き紅の淵を」のなかに出てくる「黒と茶の幻想」の章の中に、まぁさんご指摘の謎が書かれています。

・砂漠の外れの塔で三人の修道士が首を吊る話
霞ヶ関の電信柱に小人の手形が付いているという話
・祭の最中の密室状態の広場から子供たちの集団がいなくなる話
・毎日、夕方わざと障子の同じ箇所を破る老女の話
・白い馬の群れが浮かんで見えるという鉄橋の話
・「坊主めくり」というゲームの本当の意味
・角のある赤ん坊の死体が埋められている教会の話
・恐竜の骨の前で墜落死していた男

コピーさせていただきましたが、この謎たちも放置しないでちゃんと物語にしてくださいね、恩田さん。