倉橋由美子 『夢の通い路』

倉橋由美子という作家、久し振りに読んでみました。
いやはや、高校生の頃愛読していた作家なのですが、あの頃の自分の背伸びした姿が思い出されてなんとも気恥ずかしい思いも味わいました。
この方の小説は幻想的な世界とその中のエロティックな交歓が、とても洗練された表現で描かれています。

クチバシの黄色い女子高校生があこがれるにはちょっとレベルの高すぎる世界だったようです。
が、幼い恋愛観だからこそ、このような浮世離れした世界の色恋沙汰に心をときめかせたのかもしれません。
この「夢の通い路」は「夢の浮橋」「城の中の城」などの主人公である「桂子さん」の物語です。

倉橋ワールドに登場する、高貴で艶麗でユーモアも解する粋な女性、桂子さん。
桂子さんは、どこまで行っても一人の女としての芯がある。
夫や子供に囲まれ仕事もしている今も、やはり女としての魅力を失うことはない。
それはこの世ならぬ人々との交流においても変ることはない。
そして、あの世からのお客人たちのなんと多彩で魅力的なこと!

「夜が更けて犬も夫君も子供たちも寝静まった頃、桂子さんは化粧を直して人に会う用意をする。」

こうして幕を開ける桂子さんと妖しいあの世の方々の交流。
迎えるのは六条御息所光源氏、といったフィクションの世界の住人から、西行紫式部和泉式部といった文学界の大物まで様々である。
また、西脇順三郎、エリザベス・バートリ、則天武后といった異色の住人たちも桂子さんの魅力に引き寄せられて登場する、まことにオールスター勢ぞろいの作品なのである。
煌めくばかりに美しく、華麗で、洗練された死者との交歓、エロティックな描写もなにか夢幻的な淡い色彩を帯びて、植物的な清潔ささえ漂っている。

桂子さんは章が進むにつれて現し世からあの世へと、精神も肉体も吸い寄せられるように移ろっていく。
「もう子供のことも夫のことも仕事のこともどうでもよかった。」
何もかも置いてあの世へといってしまおうかと思ったとき桂子さんはもうこの世ならぬ生き物に変貌している。

腐蝕という現象。
堅い金属が錆びて朽ちていくように、桂子さんの周りも桂子さん自身も変質していく。
腐蝕によって生まれる美、銅版画。
幻想的な色香の漂う桂子さんの物語は、その銅版画のような、ほの暗い魅力に満ちている。

連作の短編集の途中からこうして桂子さんは去っていき、また夢の通い路には他の佳人たちが姿を現す。
物語は私たちの心の奥深くに眠る幻想風景をそっと引き出し、手のひらにのせてくれる。
一瞬の淡い光芒を見せて、雪の結晶のように消えていく物語。それがこの倉橋由美子の見せてくれる「夢の通い路」なのかもしれない。