暮鳥・三態

山村暮鳥は先日「いちめんのなのはな~」の「風景」を紹介した詩人です。

その後、彼の詩集などを読むうちに、なんとも不思議な作家であること、そして魅力に満ちた不思議な詩を書いた詩人であることがわかりました。

短い期間の創作活動のなかで、作風が変っていくところなど画家のピカソを思わせるものがあります。

暮鳥はキリスト教の伝道師として布教活動のかたわら、詩作に励んでいました。暮鳥は萩原朔太郎室生犀星らと人魚詩社をおこして「聖三稜玻璃」を出版し、当時の先鋭的で実験的な作風は同時代の作家に大きな影響を与えました。

山村暮鳥「聖三稜玻璃」から感じるところのある作品をいくつか挙げてみましょう。

 青空に

青空に
魚ら泳げり。

わがためいきを
しみじみと
魚ら泳げり。

魚の鰭
ひかりを放ち 
ここかしこ
さだめなく
あまた泳げり。

青空に
魚ら泳げり。

その魚ら
心をもてり。



  いのり

つりばりぞそらよりたれつ
まぼろしのこがねのうをら
さみしさに
さみしさに
そのはりをのみ。


  氣 稟

鴉は
木に眠り

豆は
莢の中

秋の日の
眞實

丘の畑
きんいろ。

独自の幻想的で言葉遊びのような不可解な単語の組み合わせなど、研ぎ澄まされたセンスが光る詩が書かれました。

しかし、暮鳥はこの作風を捨て「人道主義」的な作品を作りはじめました。
それが「風は草木にささやいた」という詩集です。
この本には自然と人間への賛歌が歌われています。人生の応援歌のような作品もあり分かりやすい言葉で書かれています。

なかでも暮鳥の力強い創作欲が感じられる詩を紹介しましょう。


  人間に与へる詩

 そこに太い根がある
 
 これをわすれてゐるからいけないのだ
  
 腕のやうな枝をひき裂き
 
 葉つぱをふきちらし
         
 頑丈な樹幹をへし曲げるやうな大風の時ですら
 
 まつ暗な地べたの下で
       
 ぐつと踏張つてゐる根があると思へば何でもないのだ
 
 それでいいのだ
 
 そこに此の壮麗がある
 
 樹木をみろ
  
 大木をみろ
 
 このどつしりとしたところはどうだ 

  

子どもは泣く

子どもはさかんに泣く
 
よくなくものだ
 
これが自然の言葉であるのか
 
何でもかでも泣くのである
 
泣け泣け
 
たんとなけ
 
もつとなけ
 
なけなくなるまで泣け
 
そして泣くだけないてしまふと
 
からりと晴れた蒼天のやうに
 
もうにこにこしてゐる子ども
 
何といふ可愛らしさだ
 
それがいい
 
かうしてだんだん大きくなれ
 
かうしてだんだん大きくなつて
 
そしてこんどはあべこべに
 
泣く親達をなだめるのだ
 
ああ私には真実に子どものやうに泣けなくなつた
 
ああ子どもはいい
 
泣けば泣くほどかはゆくなる 



 道
 
道は自分の前にはない
 
それは自分のあしあとだ
 
これが世界の道だ
 
これが人間の道だ
         
この道を蜻蛉(とんぼ)もとほると言え 


詩集「雲」からは「雲」と「ある時」を。
この詩集になると人道主義すら影をひそめ、明るくのびのびとした、仏様のような清澄な心境の詩が多くなってきます。
自然のなかで貧しくもゆるゆると暮らす暮鳥の静かな心情は、まるで子供にかえったような不思議な明るさと素朴な響きがありました。
 
 雲
 
丘の上で
 
としよりと
 
こどもと
 
うつとりと雲を
 
ながめてゐる


 おなじく

おうい雲よ
 
ゆうゆうと
 
馬鹿にのんきさうぢやないか
 
どこまでゆくんだ
      
ずつと磐城平(いはきたいら)の方までゆくんか


 ある時

雲もまた自分のやうだ
 
自分のやうに
 
すつかり途方にくれてゐるのだ
 
あまりにあまりにひろすぎる

涯(はて)のない蒼空なので
 
おう老子よ
 
こんなときだ
 
にこにことして
 
ひよつこりとでてきませんか 


私は最後の「雲」が一番好きです。
これを暮鳥は死の床で編纂し、発行されたのは亡くなった次の年でした。

つきぬけたような明るさは、主のもとに帰るという信仰があったからなのでしょうか。

鳥三態、皆様はどの暮鳥がお好きですか?