ヴァレリー・ラルボー『罰せられざる悪徳・読書』

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1924年に発表されたラルボーの読書人に送るエッセイです。

 1881年、裕福な家庭に生まれたラルボーは、フランス、ヴィシーの郊外の邸宅に自分専用の図書室・勉強室を建ててもらったそうです。

そこを「ラ・テバイード」(隠遁所)と名付け、蔵書2万5千冊が壁を埋めていました。

 読書家、愛書家にとっては夢のような境遇ですが、彼はここで読書という悪徳に耽溺したのでしょう。

 このエッセイは、有意な読書、たとえば医者が医学書を読む、法律家が法律書を読むといった行為ではなく、無為な、なんの利益も産み出さない快楽としての読書について書かれています。
その始まりを幼年期に求め、以下のように述べています。

厚紙やただの紙の扉が、そのかげにかくしていた驚異の世界と無尽蔵の宝とを垣間見させる。これま

では本能しか働いていなかったところで、意識と反省と想像力が目を覚ますのはまさにその日であ

る。とはいえ子供にとって、知的堅信礼ともいうべきものがとりおこなわれたその日の痕跡をとどめ

るものはなにもない。

そして、少年期の読書体験についての一文は、大いに頷いたところです。

表紙にはジュール・ヴェルヌの名前しか書かれていない、しかし子供が読むのはジュール・ヴェルヌ

と協力して書いた彼自身の本なのだ。自分の経験、感情、発見、あるいはもっとも古い夢想までもち

こんで、彼はその本を豊かにする。さまざまな冒険を引き伸ばし、複雑に絡み合わせ、自分で創作し

た挿話や人物をつけ加える。しかしこの時期もやはり人目につかぬまま過ぎてしまう。 

学齢期になると面白みのない宿題のなかにも少年は、読書の楽しみを見つけ出します。

あの宿題という言葉、忌み嫌われ、軽蔑され、恐れられた言葉が、あらゆるもののうえに投げかける

嫌悪の色。しかし幸いなことに、砂漠を行く旅人にも似た子供の読者は、一番最後のあたりで、澄み

切った爽やかな水をたたえた小さな泉を発見する。彼にも身近な言葉で書かれた詩。その詩の単語は

いずれも彼の知っている意味をもっており、まるで自分のもののように思える思考や感情を表現して

いる。
 

ラルボーは無味乾燥な教科書のなかにヴェルレーヌの詩を見つけ、感動した経験があったそうです。

その後、彼は真の「教養人」「よき読書人」への道を歩き出すのです。

青年期の「彼」は近代文学に傾倒します。それは、文学の基礎を教えてくれ、精神的な成長も助けてくれます。さらには、外国の文学、英語圏ラテン語圏の古典文学へと誘ってくれるのです。
そして、ここからが読書家を誘惑する様々な悪習が現れてきます。
面白いので抜粋すると、まずは「愛書家」の誘惑。

彼は物質的なものとしての本を愛しすぎた。形、重さ、紙質、開き易さ、そしてある種の本が新しい

ときにもっている快い香りなど。(中略)自分の蔵書を大切に扱い、愛撫する。彼の悪徳のこの形態

が完全に彼を支配し、読書そのものから遠ざけてしまうことさえありうる。 

さて、「彼」が愛書家の誘惑に打ち勝つと次は「博識」の誘惑が現れます。

ただたんに読書を楽しみ、それによって自分を養うばかりではなく、本のなかに入り込み、内部構造

を見てとり、解剖し、歴史を知り、胚形成を再構成し、それらの本にふくまれえる遺伝的欠陥を見つ

けだすこと。(中略)純粋な博識者はやがて、わざわざ足をとめて文学作品の美に眺め入ろうとはし

なくなる。

「博識」の誘惑に打ち勝った「彼」はまわりの人々にこう言われます。
「あいつは、おちこぼれだ」

さあ、それでも彼は教養人としてよき読書家として道をきわめていきます。なんの世俗の恩恵をもたらすことのない「1スーにもならないなにか」を得たのです。


そして、最後の誘惑が彼にそっと近づいて来ます。「書くこと、批評すること」の誘惑です。

古今の名著を読破して、批評眼を養った彼は、

出現したばかりの天才を発見する喜び、無名の父をもつ晦渋きわまりない本ーーその実、偉大な文学

的伝統のいわば名門の王嗣たる本の起源や運命を、人々にさきがけて見抜く楽しみを味わう。 

この部分で彼はジェイムズ・ジョイスを紹介したことを念頭においていたのでしょう。

真価が知られていない作品の価値を明らかにするために書く。これも虚栄心がまじりこんでいるとして悪い誘惑であるようです。

真の教養人は「一介の読者であることに満足し、自分の愛する本、いまのところほとんど人目を引かないが二十年後に有名になっているはずの本を、ひそかに、最良の友たちに推奨するだけで満足する人」でありたいとラルボーは考えたようです。


 ここで、ラルボー自身はどうであったのでしょう?
 彼は、小説、詩、翻訳、批評、雑誌の編集など、大変広く活躍した文化人でした。いわば、上にあげた誘惑すべてに嵌ってしまった読書家であったのですね。
 彼の短編集「おさなごころ」などは、少年少女の微妙な心理を描いた秀作のようです。(未読です><)
彼は自分の文筆業全般について「riche amateur」(金持ちのアマチュア)と諧謔めいた位置づけをしています。これは、「豊かな、愛するに値するものを愛する人」という意味もあるそうでラルボーの真意はそちらのほうだったのではないでしょうか。

 私自身ラルボーには及びも付かない読書好きの端くれですが、ここまで謙虚につつましいとどうして?と疑問が湧いてきます。

 このエッセイの最後で彼は忘れ去られたネルヴェーズという作家(1570-1625年ころ)を挙げて、自分が「20世紀初頭の忘れられた小作家」になったとき、ネルヴェーズの隣にその名前を記して欲しいと述べています。最近のラルボーの位置づけはまさに彼の言葉とおりですが、アマチュアであることが彼の矜持だったのかもしれません。

 来年は没後50年になりますが、世紀初頭の本楽家のエッセイは読書の快楽をあらためて教えてくれるものでした。

彼の晩年は脳梗塞による闘病生活でした。言葉を失い、生活も破綻し、住居、土地、別荘を売り払い、ついには蔵書まで売ってしまったそうです。彼の蔵書は一括して市が買い上げたので散逸はまぬがれ、現在も愛用の机や書棚とともにヴィシー市の市立図書館特別室に展示されているそうです。

罰せられざる悪徳・読書に耽溺したその時のままに。