金井美恵子 『ピース・オブ・ケーキとトゥワイス・トールド・テールズ』

イメージ 1

金井美恵子さんの小説を読むのはかなり久しぶりです。
20歳でデビューし、天才少女、才媛の名をほしいままにしていた彼女ももう還暦をとうに過ぎて・・・。はたしてどのような作品なのか、興味しんしんで読み始めました。

こんな感じ。

「どの家もまゆみの生け垣を四方にめぐらして幅の狭い小道にバラスを敷きつめて曲がりくねった廊下のように続いている砂岩段丘の道を歩いて、どこへ行こうとしているのかは、いつも思い出せないのだ。そこに「洋裁室」のある私が住んでいた家があったはずなのに。」



「なめらかで沈んだような光沢のある黒に近い濃い青と銀白色のストライプのドレスには、白い麻の幅の広いシャツ襟が首を覆う高い位置に付いていて、胸の中央にはループのボタンホールでとめる小さな共布のクルミボタンがびっしり並び、その両側には細かなピンタックが三センチ程の幅で布地にニュアンスを加え、ぴったり腕の形にそった細っそりした袖にも、肩からループとボタンでとめる袖口まで胸元と同じ幅のピンタックがあって、あまり身体にぴったりしているので、胴体にも袖にも幾つもの細かな横の皺が出来て・・・」



えんえんと続く切れ目のない文体。昭和30年代のレトロなドレスの細部を嘗めつくすような描写。どっしり重たいサテンに緻密な刺繍をほどこすような細部の積み重ねと繰り返しが物語を語り続ける。金井美恵子の最新小説はまるで熱っぽいときの夢のように、時間も空間も入り混じり、我も彼も見失ってしまう。

舞台は昭和30年代初期から何十年後まで、時間を行ったり来たりしながらこんな調子で、えんえんと独白が続き、少年だった主人公が語っているのか中年になって不倫をしている主人公が語っているのか、伯母や母がさざめくようなおしゃべりをとめどもなく垂れ流しているのか、いつの間にか読み手は文字と文字が絡み合うように蟻が這いまわるような黄ばんだ紙の上に、シューシューと音をたててデシンの絹ずれの乾いた音を聴き、アリダ・ヴァリやシーモーヌ・シニョレの悲恋の映画に入りこみ、カノノシロジロウは自らの血を口に含み、霧を吹きながら描いた虎が生を与えられ竹林に寝そべるのをまざまざと観ることになるだろう。

あ、影響受けすぎ(笑)


映画や浄瑠璃のワンシーンが唐突に語られたり、いつのかにか登場人物のひとりが亡くなっていたり。
ストーリーは一応あるのですが、どこからでも読んでいいし、どこで読み止めてもいい、不思議な世界です。

主人公の少年は海辺の街で、洋裁師を営む伯母と母、祖母の4人で暮らしています。
父は3歳のときに、ちょっと出かけてくると普段着のまま失踪。駅には乗り捨てられた自転車が放置されていました。
少年は洋裁をする女性たちのとりとめもない会話を聴きながら身の回りの細やかな事柄を見つめているのです。
その世界を語る饒舌な細部にこだわる長い長い文体。いつしか時間を飛び越え中年になった彼の回想になっていたり。読者に向けて放たれたこの掌編は、思いっきり読者を選びます。


「ゴムの乳首を噛み切ると、ゴムのむっとする匂いのする甘いというより苦さが舌を刺すサッカリンとイチゴの合成香料の液体が口の中にあふれ、氷イチゴに似てはいるけれども、それよりもゴム臭い味が強い変な味のイチゴシロップ入りのゴム袋を口から離すと、持っていた手に思わず力が入って噛み切ったゴムの乳首の穴から、二筋の細い赤いシロップが水鉄砲のように勢いよくほとばしり、白い開襟シャツの胸のあたりにボタン色のシミを作ってしまう。」


口の中に甘ったるく苦みの強いシロップがゴムの匂いとともに広がるような味が感じられませんか?

金井美恵子さんは好み全開の辛口のエッセイもいいけれど、このようなめまいを覚えるような小説も大好きなのです。あまり長く読んでなかったので、少し入りこむのに時間がかかったかも。文字を追っていく幸福な時間、ゆっくりと読むのがこの本の楽しみ方でしょう。

蛇足※男性が読むにはきついかもしれません。
どこかのブログで「金井氏には男性が描けない。彼女がシェヘラザードだったら、すぐに首を撥ねられてしまっただろう」という文章を見つけて、ひそかにフフフと笑ってしまいました。

コメントで表紙に触れた方が多いので、フォト・コラージュの記述を紹介しておきます。

 本書を美しい謎のようにつつみこんでいる岡上淑子さんのフォト・コラージュは、本書の装幀者の姉が偶然というか(必然的にと言うべきでしょう)、彼女の写真集(DROP OB DREAMS,2002 Nazraeli Press)を見つけ、一目でその写真に魅了されたことがきっかけで、私の本に月の光のような輝きを加えてくださいました。1950年代にまだ年若い少女だった岡上さんは、エルンストのコラージュを知らずに独特なコラージュを制作していたのですが、長い間、多くの人々には知られることのない存在でした。時間をこえて、私たちに与えてくれた岡上さんの作品の美しい衝撃(ショック)の波が、また新たな小説を書くことへ誘い込むようです。
(あとがきより)

bigflyさんのブログで、岡上さんの作品を詳しく見ることができます。興味のあるかたは
http://blogs.yahoo.co.jp/big_flyjp/46323301.htmlへどうぞ^^