深水 黎一郎 『花窗玻璃 シャガールの黙示』

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内容(「BOOK」データベースより)
仏・ランス大聖堂から男性が転落死した。地上81.5mにある塔は、出入りができない密室状態で、警察は自殺と断定。だが半年後、また死体が!二人の共通点は死の直前に、シャガールの花窗玻璃を見ていたこと…。ランスに遊学していた芸術フリークの瞬一郎と、伯父の海埜刑事が、壮麗な建物と歴史に秘められた謎に迫る。


高踏遊民としてランスの大学に身を寄せながら、日がなブラブラと大聖堂のデッサンで日々を送っていた瞬一郎。19歳という若き日のたった1カ月の物語である。

伯父の海埜刑事との会話の部分と、瞬一郎が書き綴った事件当時のいきさつの部分に分かれている。
この当時のことを記した部分が、この本の主文で、これがなんとも個性に満ちた文章だ。とにかくフランスの出来ごとを語るのに、人名、地名、その他諸々、カタカナを一切使わずに漢字で表現している。なんで、そんなややこしいことになったかと言えば、ただ瞬一郎の趣味・・・・。
まあ、明治あたりの文学者たちが残した、漢字の使い方を随分研究したのだろうと思われる、ものすごい当て字のオンパレード。

漢字の迷路に溺れそうになるが、これが慣れると意外とスラスラ読めるのが不思議。ルビってすごいなあと文中の海埜のように感心しながら読み進めた。
で、読んでいくと この漢字の当て字にも意味があることに気づくのだが。

ミステリとしても、よく出来ているし、美術のうんちくもまた楽しめる。このシリーズは二つの魅力で成り立っているのだが、今回もどちらも面白く読ませていただいた。しかし、アノ警部が出てこない(寂)
ダジャレを乱発し、下ネタをまきちらし、顰蹙を買ってばかりの大癋見(おおべしみ)。(冴さんありがとう)
次には是非復活してほしいものである。


で、中身なのだが、これはもうランスの大聖堂が主人公のミステリと言っていいだろう。
街のランドマークとして聳え立つゴシック建築の傑作。フランスで最高の教会建築として世界遺産にも登録されたこの聖堂。今回は聖堂の建築の歴史、ステンドグラスの歴史が主な蘊蓄である。
特にシャガールのステンドグラスを飾った小礼拝堂について、詳しく述べられている。
建物の外観、構造などヴィジュアル的な資料があればな、と思いながら読んでいたのだが、やはりこれは少々面倒くさくとも、文献やらネットに当たって、それを参照しながら読んだほうがずっといい。


で、ここからは詳しい内容、ネタばれを含む記事になりますのでご注意ください。
































ランスの学生や彼らの宿泊する下宿屋、そしてカテドラル、そこで瞬一郎が出会う人たち。
市井に生きる普通の人たちが、なかなか丁寧に魅力的に描かれていた。あまり人間を描くタイプではないと思っていたのだが、ここに登場するランスの人たちはそれぞれちゃんと顔を持っている。

そして街の風景は、最初のころの風景とラストに向けての様子が、事件の謎が解明されるにしたがって、暗く切なくなってくる。
礼拝堂に捧げられたローソク
神への捧げものに秘められた悪意。
そこにあるのは、哀しいエゴだったり、満たされない思いだったり。

建築美術に生涯をささげた研究者、ローラン氏。最初のちょっととぼけたキャラのおじいさんから、若者のように鋭い感性の持ち主へと変貌していく。
彼もまたこの物語の主役になる。単なる○○としてではなく、孤独や人生や芸術を背負った哀しい人として描かれている。
シャガールの本質に出会って衝撃を受けたことがわかるシーンなど、ジンときてしまった。

「彼は間違っている。子どもの絵?
否(ノン)、否(ノン)!この見事なまでに計算された構図を見よ!」

「老人は、その時初めて、何の先入観もなしにあの作品を見たのだ。」


芸術作品の持つ力に不意打ちされた老人の心情。
残された時間は短いのに彼は本棚一つ分もの画集や研究書を集めた。

ベアトリーチェ・チェンチの肖像」にも胸打たれたが、この独り者の偏屈な老人が人生の最後に出会った皮肉が、けっこうズシンと響いてきた。















いつも蘊蓄が面白くて、3冊目にも突入してしまった深水ミステリ、この作品は一番よかったかもしれない。ミステリ部分も面白いのだが、それ以上に登場人物の重さ、切なさがよかった。
ああ、ランスの聖堂、本物がみたくなる。。。