テレビは消灯されるのか

最近マイブームなのが、ナンシー関さんのエッセイである。
「TV消灯時間」を何冊か並べてパラパラ読むのが思いのほか楽しい。「小耳にはさもう」なんかも読んでみたい。

書かれた当時のテレビ番組やそこに出演していた芸能人のこと、全部ではないけれどけっこう鮮明に覚えていたりする。BSやWOWWOWもあったのかもしれないが、話題は地上波TV中心である。
おじいちゃんでも、おばあちゃんでもわかる、1チャンや6チャン・・・の世界だ。
ドラマやワイドショーや女子アナといった、みんなが知っていた話題をまな板に乗せてかっさばいていくわけである。
もう何年も経過していると、出てくる芸能人や文化人は風化しているのに、エッセイ自体は面白い、という不思議な現象も楽しめる(?)
また、ナンシー関の慧眼をあらためて感じたりもする。ヒッチハイクから戻って人気者になっていた猿岩石の有吉を「この人、非常に温度が低い感じがあり、底にふてぶてしいものを秘めている」なんて評しちゃったりしているのだ。

この本でナンシーさんは、「なんでこんなものが電波に流れるのだ。誰かとめなかったのか?」みたいな嘆きをさかんにしている。
TV局の企画は何重ものチェックをくぐり抜けて実現するものではないのか?と。
そう、私たちはプロが作った作品を鑑賞しているはずなのだ。
それがなんでこんなに、嘘くさく、インチキっぽく、うすっぺらなのだろうか。
そういう匂いにナンシーさんは敏感である。
そらきた!とばかりに辛口(といわれる)エッセイにしたててしまうのだ。
ビデオを何台も並べて番組をチェックしていたというから、気合が入っている。こんな言い方はおかしいが「プロの視聴者」なのだ。
だから業界の事情通ではない。
「知らないけどさ」という一言で斬って捨てているところもいい。
製作サイドとか、裏方の苦労とか、そういう部分ではない、本当に画面から伝わってくる感触のみで評論している。

本当に40歳を目前に亡くなられたのが惜しまれる。

そうそう、大笑いしてしまったのが一つあった。
「男の乳首が商品になるとわかったのが、ドラマ・ビーチボーイズである」
わははは、反町や竹之内の海パン姿、あれってサービスショットだったんだね。