石川啄木 「一握の砂」などより

高校生のころ、日本文学の授業で習った文学史、大嫌いでした^^;
貧乏臭く、負け犬というイメージがなんとも肌に合わなかったのです。でも、授業でかじった断片と、本物の文章はまったく別物でした。
おかげで、日本の文学食わず嫌いで大変な損をしていたのです。


やっとこの歳になって石川啄木に感動できるようになりました。

代表作から、心を打たれたものを載せてみます。



一握の砂より

東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる


いのちなき砂のかなしさよ
さらさらと
握れば指のあひだより落つ


しっとりと
なみだを吸へる砂の玉
なみだは重きものにしあるかな


大という字を百あまり
砂に書き
死ぬことをやめて帰り来れり


たはむれに母を背負ひて
そのあまり軽きに泣きて
三歩あゆまず


わが泣くを少女等(をとめら)きかば
病犬(やまいぬ)の
月に吠ゆるに似たりといふらむ


やはらかに積れる雪に
熱(ほ)てる頬を埋むるごとき
恋してみたし


朝はやく
婚期を過ぎし妹の
恋文めける文を読めりけり


つかれたる牛のよだれは
たらたらと
千万年も尽きざるごとし

はたらけど
はたらけど猶わが生活(くらし)楽にならざり
ぢっと手を見る


友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
花を買ひ来て
妻としたしむ


己が名をほのかに呼びて
涙せし
十四の春にかへる術なし


ほとばしる喞筒(ポンプ)の水の
心地よさよ
しばしは若きこころもて見る


教室の窓より遁げて
ただ一人
かの城址(しろあと)に寝に行きしかな

不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて
空に吸はれし
十五の心


ふるさとの訛なつかし
停車場の人ごみの中に
そを聴きにゆく


かにかくに渋民村は恋しかり
おもひでの山
おもひでの川


ふるさとの山に向ひて
言ふことなし
ふるさとの山はありがたきかな


秋の空廓寥(かくりょう)として影もなし
あまりにさびし
烏など飛べ


しんとして幅広き街の
秋の夜の
玉蜀黍(たうもろこし)の焼くるにほひよ


汽車の旅
とある野中の停車場の
夏草の香のなつかしかりき


函館の青柳町こそ悲しけれ
友の恋歌
矢ぐるまの花

悲しき玩具より

何となく、
今年はよい事あるごとし。
元日の朝、晴れて風無し。