ナサニエル・ホーソーン 『人面の大岩』

と言うわけで(笑)beckさん編のミステリアンソロジー『ミステリの愉楽』より、ナサニエル・ホーソーンの「ヒギンボダム氏の災難」を読んでみました。

最初はこの1編だけ読んで終りにするつもりだったのですが、本自体の魅力に引かれてついつい5編全部を読んでしまうはめに・・・。


実に滑稽で愚かしくも怖ろしい話だ。
ある日、ふと企んで我が家をあとにしたウィクフィールド氏。1週間の旅と妻にいい残し、それきり20年間帰宅しなかた男。
その実、彼は1つ裏の通りにアパートを借り、そこに20年間たった一人でひっそりと暮らしていたのだ。何回も帰ることを考えるのだが、実行できなくなっている自分に気付く。

そしてある風の強い日、彼は何事もなかったかもように、玄関を開けて帰宅する。

平凡だが、身勝手な男ウェイクフィールドが、ふとしたはずみに入り込んでく孤独の罠。
ある意味ホラーよりゾクっとさせられる。



「人面の大岩」

ある高く険しい山脈に囲まれた谷間に住む少年アーネスト。

彼は子供の頃母から聞かされた伝説を信じていた。
それは、山の切り立った岩盤に偶然の技によって刻まれた人面についての伝説だった。
神々しく気高いその顔は神のように峻厳で、しかし、慈愛に満ちた眼差しを持っていた。
いつかこの大岩の顔を持つ男が現れる。彼はこの世で最も偉大で最も高貴な人物である。

伝説を聞いたアーネストは、生涯を通じてその大岩の顔を持った人物を探し続けるのである。


永遠に捜し求めるアーネストはいつしか気高く高貴な人物として知られるようになっていく。

幾人もの地位も名誉もある人々がアーネストの前に現れるがどの人物も大岩の顔には似ても似つかない。
探求する人、アーネスト。
彼が生涯かけて探し求めていたその人、それが彼自身であったことはそばにいる詩人にしかわからない。
アーネストすら気付かないのである。


「地球の大燔祭」

これもある種の寓話。
あるとき、人々は使い古しのがらくたを詰め込みすぎたので、壮大な焚き火をやって過去の遺物、がらくたを燃やしてしまおうと考えた。
西部の大平原に山と積まれたがらくたは、ごうごうと炎をあげて燃えさかった。

この世の虚栄、勲章、王冠、金に黄金、宝石。火の中に投げ込まれて燃え尽きる。
酒、武器、ギロチン、そして本、証書、証券のたぐいも火をまぬがれない。
シェークスピアは多彩な色彩の炎を上げ、バイロン卿は毒々しい発作的な光を発した。

聖書、僧服、信仰の対象までもが次々と炎のなかに投じられていく。


炎を上げて燃え栄える大燔祭。しかし、すべてを燃やしつくしてもまだ「人の心」が残っている。
これをそのままにしておけば、この世は再びもとの姿に戻るだろう。
最後の著者の言葉「『心』そこにあるのは微々たる球体だが、しかし無限の球体なのだ。そして『心』のなかにこそ原初の悪が存在し、外の世界の罪や悲惨さやなど単なるその類型にすぎない。」が、重く残った。

「ヒギンボダム氏の災難」

一転コミカルな作品。

噂話を聞くのも語るのも大好きな煙草の行商人ドミニカス。
ある朝、出会った旅人から
「ヒギンボダム氏が殺されて梨の木い吊るされた」というニュースを聞かされる。

さあ、早く人にこのニュースを知らせたくていても立ってもいられないドミニカス。さっそく次の町でこの事件をふれ回る。
ところが、べつの場所で会った人が、今朝ヒギンボダム氏と1杯やった、というのだ。
その後も、死んだ、いや生きていると、会う人ごとに言う事が違う。
いったい彼は生きているのか殺されてしまったのか?

とても洒落たミステリ。
しかも書かれた時期はE・A・ポーより前というのが驚きです。

「牧師の黒いベール」

村の教会のフーパー牧師。
ある日彼の顔には黒いクレープ生地のベールがつけられていた。
いっかなベールを外そうとしない牧師。人々はその忌まわしい姿を恐れた。
また、罪人や死期の迫った病人には黒いベールは、救いを求める象徴になった。

誰の身にもある罪の意識をベールという形にしてしまったフーパー師。
そのベールの影の暗闇で生涯を閉じた彼のことを淡々と描いているが、背筋が寒くなるような怖さがある。



以上5編。
ホーソーン清教徒としての思想も覗く興味深い選集でした。
寓話のような物語が多く「黒いベール」などはとまどうようなストーリーでした。

「人面の大岩」は美しい1篇の詩。
ウェイクフィールド」は宇宙の孤児。
「ヒギンボダム氏」はミステリのあけぼの。

いずれも楽しい読み物でした。」

beckさん、ありがとうございました。