桜が咲きはじめると・・・

イメージ 1

東京の桜もそろそろ見ごろを迎えてます。
木によっては、もう5分咲きくらいまでほころんでいるところも。

この季節を迎えると思い出すのが

願わくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ


西行の有名な歌です。

桜を愛し、花の歌をいくつも詠んだ西行

去年の記事にも書きましたが、今年も桜に寄せて西行の歌を取り上げてみましょう。

山桜 ほどなくみゆるにほひかな さかりを人に待たれ待たれて


見る人に 花も昔を思ひ出でて 戀しかるべし雨にしをるる


さきそむる 花を一枝まづ折りて 昔の人のためと思はむ


今の我も 昔の人も花みてん 心の色はかはらじものを


春風の 花をちらすと見る夢は 覺めても胸のさわぐなりけり


惜しむ人の こころをさへにちらすかな 花をさそへる春の山かぜ



桜と西行と言えば、有名な世阿弥の能に「西行桜(さいぎょうざくら)」があります。

西行桜(さいぎょうざくら)

 都西山の西行の庵には見事な桜の老木が満開の花を咲かせている。西行が一人心静かに桜を眺めていると、その桜目当てに都から花見客が訪れる。客を厭う西行は世捨て人となっても俗世と離れられないことを嘆き、その煩わしさも「桜の咎」だと歌に詠む。やがて日も暮れ、桜の木陰に微睡む西行の夢中に老人姿の桜の精が現れ、「桜の咎」という西行に反論し、桜の名所を数え上げて舞を舞う…。
 西行の「花見んと群れつつ人の来るのみぞあたら桜の咎にはありける」という和歌を題材に、桜花のはかなさや無常観を、華やかな風情の中に老桜の精が静かに語り、閑寂な舞を舞うという枯れさびた味わいの能。
   桜の木に宿った精霊が「見渡せば柳桜をこきまぜて 都は春の錦 燦爛たり」で始まり、謡で次々と桜の名所を並べる。桜の老木の精が白髭の翁であるところが、面白い。


桜の季節に西行を振り返ってみるのも、よいのではないでしょうか。