宮部みゆき 『レベル7』

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内容(「BOOK」データベースより)
レベル7まで行ったら戻れない―。謎の言葉を残して失踪した女子高生。記憶を全て失って目覚めた若い男女の腕に浮かび上がった「Level7」の文字。少女の行方を探すカウンセラーと自分たちが何者なのかを調べる二人。二つの追跡行はやがて交錯し、思いもかけない凶悪な殺人事件へと導いていく。ツイストに次ぐツイスト、緊迫の四日間。気鋭のミステリー作家が放つ力作長編。 

あるマンションの一室で目覚めた男女。彼らは一切の記憶を失っていた。
右の二の腕の内側には Level7の文字が記されている。そしてクローゼットには札束の詰ったトランクと血の付いたタオル。
そして拳銃が一丁。

時折フラッシュバックのように訪れる忌まわしい記憶。
彼ら二人は何ものだったのか?
拳銃を見つけて青ざめる二人。警察は頼れない。

一方、電話相談室「ネバーランド」に勤める真行寺悦子のもとに、よく相談を持ちかけていた女子高校生貝原みさおが失踪した。
プライベートでも会うようになり親しくなっていた悦子は、みさおが残した日記帳の「レベル7まで行ってみる。戻れない?」の記述が気になっていた。
その後、悦子のところに「真行寺さん、たす・・・」といって切れた、みさおの声でかかってきた電話。
彼女は、犯罪に巻き込まれたのか。
悦子は、父と娘のゆかりとともに捜索を開始する。

同時進行で交互に語られる二つの物語。
接点にあるのは「レベル7」の文字。

徐々に浮かび上がってくるのは去年のクリスマスに起きた殺人事件だった。

十年以上前に読み、今回再読しましたが、ほぼ完璧に忘れていてとても楽しめました。(恥)
記憶を失った男女の真実の姿は何なのか?
忌まわしい一瞬の記憶は?クローゼットの大金と拳銃は?
犯罪を犯した時の記憶が蘇ったのでは、とおびえる男女の自分を探す過程はスリリングです。
徐々に浮かび上がる過去の犯罪。
患者を食い物にする精神病院の実態。

もう一方のみさおの失踪事件も精神科の病院へつながっていきます。

宮部みゆきの現代ミステリの初期の作品ですが、謎の言葉「レベル7」と読者を振り回す騙しのテクニックにやられてしまいました。本格ミステリではありませんが、次々と明らかになる殺人事件の真相は、2転3転して飽きさせません。
大団円というのに相応しいラストの数十ページは、え~とか、お~とか、言いながら一気に読みました。

様々な人生を交錯させて、ラストに盛り上げていくところなんか宮部さんの筆の見せ所でしたね。

悲惨な事件を追う過程で、シッカリものの10歳のゆかりの存在がとても明るい雰囲気を与えてくれました。
お薦めの力作長編小説です。

ちなみに、精神病院のモデルになった事件がありますので、その記事も載せておきます。

昭和59年3月29日、栃木県警宇都宮署は宇都宮市にある精神病院・医療法人報徳会宇都宮病院」の職員等5人を傷害容疑で逮捕した。同病院は同月14日、看護職員等による患者への暴力(リンチ)・不正入院・無資格診療行為その他の疑いで家宅捜査を受けていた。

宇都宮署の取り調べで、同病院では3年間で200人以上の患者の不審死が判明。その内、2件の死亡事件で職員5人が関わっていたとした。その内の1件は、アルコール中毒との診断で入院していたAさん(当時35歳)で、入院から4ヵ月後の昭和58年12月30日、見舞いに来た知人に「こんな酷い病院は無い。退院させて欲しい」と訴えた。これを聞いていた看護職員は見舞い客が帰ったあと、古参患者と共謀でAさんに殴る蹴るのリンチを加えて同日夜死亡させた。病院側はAさんの家族に「容体が急変した」と偽り遺体を引き取らせた。

警察は、今回の逮捕でAさんを埋葬(土葬)した遺体を掘り起こして事実を突き止めた。だが、これは同病院で多発していたリンチ事件の氷山の一角にしか過ぎなかった。また、このリンチ事件以外に乱診、無資格診療も多数発覚した。

驚くのは、これだけではない。同病院の医師は事実上、院長である石川だけで、その他は医療資格の無い看護士や古参患者に医療行為をさせていた。一方、ベット数は920床に対して948人が入院していたから到底院長だけでは回診は出来なかった。さらに石川は、特異な患者が入院すると「あの患者の脳は必ず貰え」と職員に命じ、その患者が死亡すると看護士や看護人に脳を採取するための執刀を命じていた。

採取した脳は東大医学部のT助教授(当時)へ研究材料として提供していた。その数は年間で10数体に達したという。石川はその見返りにT教授の名前を公にして「うちの病院には東大の偉い先生がついている」とPRして入院患者集めのネタにしていた。
法廷で、石川は起訴事実をほぼ全面的に認めて情状酌量を求めていた。昭和60年3月26日、宇都宮地裁は石川に懲役1年の実刑を言い渡した。石川は控訴した。一方、傷害致死等に問われていた職員4人は昭和61年3月20日、宇都宮地裁で懲役4年~1年6ヶ月・執行猶予3年の有罪を言い渡した。

この事件はかなり騒ぎになり精神病院の規制も厳しくなりました。