坂口安吾 『桜の森の満開の下』 時代物、大好き~その1~

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月の骨ブックレポートの月野さんのところで立ち上げられたこの企画。やっと1冊目、坂口安吾の登場です。

あんごさんの向こうを張ってこの作品を選んだのには、ろくに時代物を読んでいないのと、この作品が日本文学に拒否反応をおこしていた私が、母国語で書かれた小説の面白さ、言葉の美しさに初めて感動した本だったからです。
安吾の描く怖ろしくも幻想的な世界が伝わればと思っています。


桜の花の下から人間を取り去ると怖ろしい風景になります。

鈴鹿峠の山の中、一人の山賊が住み始めます。
この男、ずいぶんむごたらしい男でありました。
旅人から情け容赦なく、着物をはぎ、荷を奪い、人の命を断ちました。
しかし、こんな男でも桜の森の花の下にくるとやっぱり怖ろしくなるのでした。

花の下は風がないのにゴウゴウ風が鳴っているような気がしました。

そのくせ風がちっともなく、一つも物音がありません。

自分の姿と足音ばかりで、それがひっそり冷たい、そして動かない風の中につつまれていました。

花びらがぼそぼそ散るように魂が散っていのちがだんだん衰えて行くように思われます。

もうこの最初の2ページほどで、すっかりとりこになってしまいました。人影のない桜の森の花の下、魂を取られ、気狂いになりそうな美の世界。
能の舞台を観るような夢見心地になってしまいます。

山賊はある日、都からきた夫婦連れを見つけると、いつものように身ぐるみ剥がして、とっとと失せろと蹴とばしてやるつもりでした。が、女があまりに美しすぎたので、ふと、男を斬り捨てていました。

「ふと」斬りすててしまう山賊の野生の獣のようなこだわりも良心の呵責もない殺し方。
男は単純で悪意のない残酷さを持ち、野生の熊のように自由な生き物でした。

しかし、美しい女に惑わされた男の中に「美」に対する目覚めが始まったのです。
7人いた女房を6人まで斬り殺したのも女の命令に従ってでした。斬り殺した後の山賊の中に芽生える不安、それは、自分が自分の意志で動いていないような、女の美しさに魅せられ魂を吸い取られてしまうような心の波立ちでした。

まるで、桜の森の満開の下で感じたような。

男がさらってきた美しい女、それは魔物か鬼だったのでしょうか?

我儘で残酷で、しかし男は女に逆らう事はできませんでした。魔物に魅了されていたのです。

山暮らしで教養もなく、美的な感覚があることも知らなかった山賊ですが、女と暮らすようになって魔術にかかるように美しさを知ってしまいます。

今までは何の意味も見出せなかった、櫛、かんざし、様々な色の着物、紐、帯。
女は髪を結い、着物を幾重にもまとい、紐は妙なかたちに結ばれ、不必要に垂らされて、色々の飾り物をつけたすことによって一つの姿が完成されていきます。
男は、見せ付けられることで不安になるのでした。
美しいもの、調和、洗練、そうしたものは、男を恐れさせ不安にさせるのです。
都は山賊にとってそのような怖れの対象になりました。

強く、猛々しく、何ものをも怖れなかった山賊は、たった一人の弱弱しい女の美の前で不安と怖れに震えるのでした。
都へのぼり、女に謂われるままに山賊は都大路人狩りになりました。女に首を持って帰るために毎夜、毎夜、人を殺しました。
女は犠牲者の首を玩び、お話をつくって忌まわしい遊びを繰り返すのです。

女は鬼であったのでしょうか?魔物であったのでしょうか。
女は桜の森の満開の下にいるかのように山賊を狂わせてしまったのでしょうか。

都の暮らしがいやになった山賊はついに女を連れて山へと帰ります。
その道中、山賊は気に留めないたちの男でしたが、ついに自分が背負った女が鬼であったことに気付きます。
そのとき二人は鈴鹿峠桜の森の満開の下にいたのです。


安吾は、この美しい物語の秘密をこう語っています。
桜の森の満開の下の秘密は、誰にも今も分かりません。あるいは『孤独』というものであったかも知れません。」

「永遠」は人の心を狂わせます。限りある命しか持たない人間は永遠に耐えることができません。
桜の花の下には人を死に誘うような永遠の孤独がぽっかり口をあけているのかも知れません。