奥田英朗 『マドンナ』

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「マドンナ」「ダンス」「総務は女房」「ボス」「パティオ」

5編からなる奥田英朗の短編集である。
奥田作品の「ガール」が働く女性の本音なら、こちらは中年のお父さんたちの、淡いオフィスの恋だったり理不尽な要求に頭を下げて応えなければならない哀しい姿だったりする。

私が会社勤めをしていた頃、20代、30代のOLであった頃の、おじさんたちは、何か埃っぽくてガサツだったり、妙にダンディだったり、共感なんて遠い星の異星人ほどにも持っていなかった。それは、出世や責任から外れた場所を歩いている働く女性から見た、おじさんたちの生態だったのだ。
それなりに家庭も持ってみると、彼らの両肩に乗った責任の重さに少しは理解できるようになってきた。

そして、この「マドンナ」である。
男性の心理をうまく描くのは、男性作家の奥田氏としては当然だろうが、ここでまた「ガール」で感じたように妻達やオフィスの女性たちの心理、心の綾もとてもクリアに見つめて、見事に描いているのだ。
若干ステロタイプながら、ここに登場するおじさんや、職場の女性管理職、そして孤独に読書をする老人のエピソードは、読んでいるこちらの視線を思わず優しいものに変えてしまうようなマジックに満ちている。

面白かったのは、「ダンス」。
会社人間で長いものには巻かれろ、と無難にうまく泳いできた父親と、ヒップホップにはまって進学しないで「ダンス・スクール」に通うという息子。
会社では、一匹狼の同僚をうらやましく、また、愚かな奴と相反する見方で見ている彼。
両方の生き方に反発しながら共感してしまう、父親の心の動きにこちらも頷いてしまう。
それにしても、男親にとって思春期の息子の2階の部屋というのは、役員室より遠いのだろうか。

「ボス」は女性総合職の部長を迎える事になった、部次長の悩みと苛立ちを描いてユーモラスだ。
美人でクールで取り付く島のない部長に、接待や部下とのアフターファイブの飲み会が大好きな体育会系の部次長が、なんとかして元の仕事のやり方を取り戻そうと虚しい戦いを挑む。
女性のクールな横顔と、最後に見せる可愛らしい横顔の対比が心に残った。

「パティオ」はオフィスの窓から見下ろす人気のない中庭に、毎日のように洒落た老紳士が読書をしにくる話。
老紳士と自分の一人暮らしの父親を重ねあわせて見てしまう、課長の信久。
パティオをイベント会場にして結果的に老紳士を追い出してしまう会社の方針に信久は異をとなえるが。

親の老後を憂う中年世代と、老いてはいても矜持を失わない老年世代とのすれ違いや、淡い交流にほんのりと優しい気持ちが沸き起こる。

う~ん、奥田さんは女性の心理も中年の心理も、老年まで手に取るように分かってしまう慧眼の持ち主のようで、どの本を読んでもそれぞれ違った感銘を受けてしまう。
こんな器用な作家は珍しいのではないだろうか。