山を下りる愚者 『チャンス』

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名優ピーター・セラーズの最後の作品。

実を言うとピーター・セラーズはあまり好きな俳優ではなかった。
脇役ならピリッとワサビのような味わいがあるのだが、「ピンク・パンサー」などコメディアンとしての主演作品はどうも面白みが分からなくて、笑えない俳優だったのだ。
まあ、何十年も「博士の異常な愛情」を観ずにすましてきた私が、どーこー言えるものではないのだが。

しかし、この「チャンス」を観た時は感動した。一辺でピーター・セラーズの評価がひっくり返ってしまった。
この人の静かで知的な雰囲気がこの映画にピッタリ合っていた。

粗筋はこんな感じ。

知的障害がある庭師のチャンスは、子供の頃から住み込みで働いていた家を当主の死により町に出ることとなった。

高級車に接触し、治療を家ですることを勧められ、エヴァとその夫であり経済界の立役者であるベンジャミンと知り合うことになる。名前を問われて「庭師のチャンスです」と応えるが、「チャンシー・ガーディナー」という姓名であると勘違いされる。

庭の手入れや植物の生長の話をするチャンスを、ベンジャミンは不況下にある米国を立て直す暗喩であると考え、大統領・経済人に彼を紹介する。そうしていくうちにチャンスはTV出演までもするようになり、国民的な人気を得る。

ベンジャミンが死去したとき、チャンスは次期大統領候補となっていた。そんな話に無頓着なチャンスは、湖水の上を歩いて(水上を歩く奇跡を行ったというイエス・キリストのパロディ)去っていく。

いわゆる勘違いコントのような筋立てなのだが、セラーズの深みのある演技は単なる可笑しみだけではなく、その奥に風刺や哲学を垣間見せてくれる。

そもそも、これはニーチェの「ツァラトゥストラかく語りき」をベースにした原作があるという。「愚者が山を下り教師となって、エンディングでは超人になってしまう。」というストーリーが元になっているらしい。
また、原題の「Being There」は哲学者マルティン・ハイデッガーの未完の主著『存在と時間』から採られているそうである。(Wikipedia情報^^)

そんなトリビアはオイトイテ、この作品、最近ブルーレイで再販されたのだ。古いビデオで見たチャンスが、くっきり鮮やかな画像で帰ってきた。これはまた楽しめそうと、さっそくレンタルしてきた。

なんとも地味な味わいのある演技。全盛期の7つの人格を演じ分けるなんて称賛された派手さは微塵もないが、静謐なまなざしや、ゆっくりした歩みは他にはマネできない厚みがある。知的障害を持ちながら、ゆっくりと語るチャンスの口調は、たしかに賢人の言葉ともとれてしまう。
庭のことしか知らないチャンスが、園芸のことを話すと周囲は勝手に深読みして感動するのである。これは、その辺のオジサンが演技しても馬脚を現すだけだが、さすが名優だけあって、まさに知的障害者と賢人の両方にとれる見事な演技だった。


また、チャンスを偉大な賢人と勘違いしてしまう有力者の夫人シャーリー・マクレーンがとてもキュートで、美しい。

この作品、一応はコメディに分類されるのだけど、哲学的な作品でもある。
押しつけがましくない、ちょっと不思議なテイストで、日常の中に少し神秘的な光が差し込むような心にに残る秀作だ。




※『チャンス』(Being There)1979年

監督    ハル・アシュビー
製作総指揮 ジャック・シュワルツマン
製作    アンドリュー・ブラウンズバーグ
脚本    ジャージ・コジンスキー (原作)
出演者   ピーター・セラーズ
      シャーリー・マクレーン
      メルヴィン・ダグラス