不確実性の時代

一言お断りを・・。あの「不確実性の時代」についての書評が読めると思って覗いている方、全然関係ないんです。ごめんなさい^^;

で、こんな大層なタイトルをつけて、何を書こうとしているかというと、まあ、情報というものの不確実なことについて・・・となるんですね、これが。

ブログ年齢19歳とはいえ、地球上の生物としても、かなり古株のうちに入っているしろねこですが、今まで生きてきたなかで、いろいろな情報を浴びてきたわけです。ところが、その時に最先端とかいっても、結局その後、その情報は間違いでした・・・という経験をかなりしてきたわけです。

古~い話では、「米よりパンのほうが優れた食品で、頭がよくなる」なんていうのがありました。30年後には石油は枯渇するという説は40年も前の話です。
もう少し最近では、「フロンガスは難燃性で、無害なのでじゃんじゃん使うといいよ」ってのがありました。とんでもない話でした。
また、科学捜査の勝利、と称えられたDNA鑑定も当時の精度が問題になって、十何年たった今になって「冤罪」ではないかと言われ、再鑑定になった事件もありました。
結局、専門家と言われてる人たちでも、自分たちのやっていることをよく解っていなかった、ということだったのですね。
私が信用しないのは、政治家の公約と専門家の意見ってやつですね^^;

それに出た時はトンデモな仮説だったのに、後で真実だと解った場合もあります。
1980年ころ「水道の水は危険だから飲んではいけない」という説をとなえた人がおりました。そのころ、ミネラルウォーターなんぞは、怪しげなガラスの瓶に入って、必ず栓を抜いた状態で出てくる飲み屋のアイテムとしてしか知らなかったものでした。「氷とミネラル追加ね~」なんて(笑)
しかし、その説は結局正しかったんですよね。塩素で殺菌した水には反応でトリハロメタンという物質が入ってしまう。これが発がん性があるとか。
今ではミネラルウォーター、浄水器などは常識になっています。

携帯電話や家電製品から出る電磁波は体に害がある、という説も日本よりヨーロッパのほうで、真剣に受け止められているようです。

アルミ鍋で調理すると、微量でも摂取することになってアルツハイマーの原因になる。
タミフルは思春期の子供には有害。
リサイクルは環境によくない。ゴミはきちんと焼却するのが一番環境にいい。

などなど、トンデモに思える説から、本当かもと思える説まで、それこそ諸説紛々です。

マクドナルドは猫肉ハンバーガーだとか、ケンタッキーのチキンから蛆虫がわいた、とかもう、都市伝説になった情報もありました。

こんな玉石混交の情報の海を正しく泳ぐのは至難の業です。
とくにネットの世界はまさに情報が氾濫し、混乱しています。2ちゃんねる、You tube、HP、ブログなどなど、個人が発信する情報は、フィルターを通すことなく、生で手元まで届きます。
本物を見分けることも、日に日に難しくなっていきます。

新聞も雑誌もTVもネットも、懐疑する心を持って接することが、一番重要になってきたように思います。
鵜呑みにして踊らされることなく、正しい情報を選ぶことは不可能に近いかもしれません。時間がたたなければ解らない問題もあります。
でも、信じ込むまえに、ちょっと立ち止まって眉に唾をつけてみるのも、ひとつの方法ではないでしょうか。
そう言いながら自分でも「ミクロの決死圏の美術をやったのはダリ」という嘘にころっと騙されておりました^^;


ここに冷酷な数字があります。
原発は技術の粋を集めて設計されてます。大きな事故は1万年に1度の確率でしか起こりません。」
これは、昔原発の安全性を強調する時に使われた言葉です。
でも、100機の原発が稼動するならどうでしょう?確率は百年に1度になってしまいます。その後、チェルノブイリは爆発しました。

もう一つたとえ話。
広い湖に小さな蓮が群れてます。蓮の葉は1日に2倍に面積を増やします。
何ヶ月かたって、蓮は成長しだんだん面積を増やしていきました。それを見ながら人々は「まだ大丈夫だ」と言い合いました。
しかし、ある日蓮は湖の半分にまで達していたのです。翌日、湖は蓮に覆いつくされていました。

数字ほど操作しやすいものはありませんが、また、数字は冷酷な事実を突きつける事もできるのです。

では最後にこの数字、800兆の借金をかかえた日本。
蓮の湖のようになる前に、かなり大胆な改革をしなくては、国家の破産になりかねません。
不確実な世界にも、確実なことはあります。それは、借金には金利がつくということ。ゆきだるまのように、借金は膨らんでいくのです。
ついこの間まで600兆と言ってませんでしたか?

一つ一つの情報が集まってある方向を示すとき、目を背けないようにしたいものです。
バブルの崩壊、サブプライムローンの破綻。
気をつけて視ていれば自明の結果だったという専門家(ここでも、専門家^^;)がいます。


曇りのない眼を持つということは、実はとても難しいことなのでしょう。
専門家の語る言葉には、その時々の時代の色メガネを通しているので、正しく流れを読むことができない、そんな風に思ってしまいます。
しかも、先を見る人というのは実生活では変わり者、跳ね上がりなどと言われる変人が多いのです。

常識があり、良き経営者、良き夫。良き妻、良き母。
こういう社会で尊敬され歓迎される人達とは1線を画す、変った人。そんな尊敬されず、1家の困り者のような人に限って、先見の明があることが往々にしてあるのです。

皆さんも、ちょっとオカシナ人たちが語る言葉に、耳をふさがず、ちょっと常識を忘れて立ち止まって声を聞いてみてはいかがでしょう。
なにか新しい価値がそこには、埋もれているかもしれませんよ^^;