カーター・ディクスン 『貴婦人として死す』

絶壁へと続く二筋の足跡は、リタとサリヴァンのものに違いなかった。70フィート下には白い波頭が果てしなく押し寄せ、生臭い海の香が吹きつけてくる・・・・。
 リタは老数学教授の若き妻、サリヴァンは将来を嘱望された美貌の俳優だった。いつしか人目を偲ぶ仲となった二人の背徳の情熱は燃えた。破滅がくることはわかっていたはずだったが、しかし・・・・・心中するような2人ではなかったのに?
果然、二日後に発見された二人の死体には無残にも銃痕が!一見ありふれた心中事件の裏には、H・M卿にも匙を投げかけた根深い謎が秘められていた。(裏表紙より)

古い小説を読むときは、それなりの状態をつくる必要があります。幸い古い人間なので、昔のゆったりとした時の流れを再現させることに難しくはありません。
もねさんからお借りした「絶版!幻のミステリ」の1冊、カーター・ディクスン『貴婦人として死す』を読み始めるとき、そんなことを考えておりました。
戦時中(第二次世界大戦です。ベトナムイラクではありません)のイギリスを舞台にしたミステリ。
さぞかし、古い風俗、会話などだろうと思っていましたが、いい意味で裏切られました。

もちろん現代のミステリを読むようなわけにはいきませんが、プロットの見事さ、スピード感など1940年代にかかれたものとは思えないものでした。
カーの小説は今でも読まれていると思うのですが、なぜこの「貴婦人として死す」が絶版となっているのかは不思議に思えてなりません。(カーター・ディクスンディクスン・カーの別名です)

H・M卿の登場シーンの型破りなユーモアや、犯人の明かされる1行の驚きは他の優れたミステリと比べても遜色のないものです。

いわゆる「「雪の上の足跡」と呼ばれる、有名なテーマのトリックを使ったミステリに分類される本書。
2人の足跡は1直線に崖に向かって進み、端まで行って途切れています。足跡は警察が捜査した結果、後ろ向きに歩いたり、大きな靴を履いて歩いたりした形跡は見当たらない。

2人を撃ったものは誰なのか、切られた電話線、抜かれた自動車のガソリンは?

語り手である老医師、リューク先生。
人柄のよい穏やかな好人物です。
彼の目を通して、街の人々の人間模様も描かれるが、そこもまたカーの手腕の見事なところです。

終盤は、読み応えある展開でした。

この作品でのH・Mの活躍が、推理というよりドタバタコメディーのような車椅子の暴走、さらに犬たちとの闘いのほうで目立っていたというのはご愛嬌でしょうか。

エンジン付きの車椅子にのったH・Mがトーガをなびかせて、ポンポンポンポンと爆走するシーンは可笑しさを通り越してシュールな光景でありました(笑)


というわけで、大変面白く、幻の名作というにふさわしい作品を読むことができました。
もねさん、ありがとうございました。今回はたいへん時間がかかってしまい申し訳ありませんでした。

もし、お次に読みたいという方があれば、すぐにお送りいたします^^。