昭和天皇の発言について

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 先日、日経新聞のスクープで「昭和天皇A級戦犯の合祀について不快感を示した。」という内容のメモが公開されました。その後、他の全国紙にも同様の記事が相次いで発表され、当事者である天皇の発言ということで、様々なメディアに取り上げられました。

 当時の宮内庁長官富田朝彦のメモは次の通り。
『私は或る時に、A級が合祀され その上松岡 白取までもが、
 筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
 松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と
 松平は平和に強い考えがあったと思うのに
 親の心 子知らずと思っている
 だから私はあれ以来参拝していない
 それが私の心だ』

 天皇の発言のメモなので文章としてはちゃんとしたものではありませんが、昭和天皇靖国A級戦犯合祀について、どのような考えをもっていたかが伺える貴重な歴史資料といえるでしょう。

 日曜日のテレ朝の政治番組でこの問題が取り上げられ、靖国参拝慎重派と積極派に別れての討論がありましたが、参拝に積極的な桜井よしこ岡崎久彦(元駐タイ大使)の発言にはがっかりしました。

 桜井、岡崎両氏は東京裁判の正当性とか、富田メモの信憑性に言葉を費やすのみで、天皇発言の内容を真っ向から捉えず逃げてばかりでありましたね。
今までのかれらの思想信条に照らせば、今回のメモは彼らの立場と真っ向から対立する天皇の発言かもしれませんが、歴史の資料をきちんと検証しない態度は学者、評論家、ジャーナリストとしてどうなのでしょうか。
 岡崎氏に至っては、司会者に「信憑性については調べてください」と言われて「いえ、調べる必要なんかないですよ」と答えています。
 自分の意見に反する資料は調べないのか、と驚きました。

 私自身は靖国の参拝は宗教的行為であるし、合祀も他の宗教、宗派には頓着せずにやってしまうなど、存在自体疑問に思うほうなのです。現代でも職務中に亡くなったキリスト教徒の自衛官が遺族の反対があるにもかかわらず強制的に祭られてしまった事件などもありました。

 戦争当時、生死も分からぬ境遇にあった兵士たちは死んだら「靖国で会おう」を合言葉にしていたと聞きます。そんな戦争の犠牲になった兵士たちとA級戦犯を一緒に祭ってしまった神社がわの行為に批判があるのは当然だと思います。
しかも神社側は教義上一度合祀した御霊は分祀できないという理屈で、分祀を拒絶しています。

国のために散った英霊を祭るのなら宗教とは関わりのない施設を新たに作ることが一番よいのではないかと思っています。

象徴天皇がお参りできない神社の意味はあるのでしょうか。

遺族の中には靖国でなければ駄目だという強いこだわりがあるそうです。現に熱心なカトリック信者であった父も戦争でなくなった戦友のために靖国に参拝していました。
しかし、宗教法人として靖国が独自の教義で戦犯を祭ることを決め、さらに分祀は不可能というのであれば靖国にこだわらず、新しい施設をつくることは意味があると思います。
靖国神社に参拝したい人は自分の信条に従ってお参りすればいいし、戦犯合祀や靖国の資料館にあるような戦争賛美に反対の人は新施設にお参りすればいい
選択肢のない現在の状況こそ思想信条の自由のない状態だと思います。

上は私が以前から感じていたことで、今回の天皇発言メモとは関係ありませんが、今度の報道のタイミングを考えるとなにか世論操作や、政治利用の匂いが鼻をつきます。

天皇の心は心として冷静に受け止め、政治、特に総裁選への影響は最小限にとどめてほしいものです。

そしてなによりも、今まで60年間さぼってきた戦争犯罪の日本国民としての検証作業をやることが大事です。戦勝国が敗戦国を裁いた東京裁判の正当性は、誰もが疑問に思う所でしょうが、それに変る真摯な反省に基づいた日本自身の裁判や検証がなされていないのが問題です。

あの頃の責任者はほとんどが鬼籍に入っています。死者に鞭打つ文化でもありません。
それでも、今に生きる私たちにとって本当のことはまだ闇のなかです。
資料は散逸し、証人は亡くなっていきます。
国家の品格や自立を声高に叫ぶ論客たちは、何故一番大事なこの作業をやらないのでしょうか。

今回のメモで名指しされた松岡、白鳥両氏の責任はどうだったのか、しっかり検証して欲しいものです。

まあ、小泉首相のように「人は人、自分は自分の意見で参拝をする」としれっと言ってしまうのも、なんとも重みのない発言だとあきれるばかりではありますね。