三好達治 『測量船』
雪 太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪降りつむ。 次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪降りつむ。
首途(かどで) 真夜中に 格納庫を出た飛行船は ひとしきり咳をして 薔薇の花ほど血を吐いて 梶井君 君はそのまま昇天した 友よ ああ暫くのお別れだ・・・ おつつけ僕から訪ねよう!
土 蟻が 蝶の羽をひいて行く ああ ヨットのやうだ
三好達治は抒情詩人の代表のように言われています。
この詩集の中で、「鴉(からす)」という少し長い詩があります。
男が道端に落ちている黒い上着を着ると鴉に変身して、鳴きながら飛び立っていくという不思議な詩です。この辺は、抒情というより超自然的な趣があるようです。
鴉 風の早い曇り空に太陽のありかも解らない日の、人けない一すぢの道のうえに 私は涯しない野原をさまよふてゐた。風は四方の地平から私を呼び、私の袖を 捉へ裾をめぐり、そしてまたその荒まじい叫び声をどこかへ消してしまふ。 その時私はふと枯草の上に捨てられてある一枚の上衣(うわぎ)を見つけた。 私はまたどこからともなく私に呼びかける声を聞いた。 ─ とまれ! わたしは立ちどまって周囲に声のありかを探した。私は恐怖を感じた。 ─ お前の着物を脱げ! 恐怖の中に私は羞恥と微かな憤りを感じながら、余儀なくその命令の言葉に 従った。するとその声はなほも冷ややかに、 ─ 裸になれ! その上衣を拾って着よ! と、もはや抗しがたい威厳を帯びて、草の間から私に命じた。私は惨めな 姿に上衣を羽織って風の中に曝されてゐた。私の心は敗北に用意をした。 ─ 飛べ! しかし何といふ奇異な、思ひがけない言葉であろう。私は自分の手足を顧みた。 手は長い翼になって両腋に畳まれ、鱗をならべた足は三本の指で石ころを 踏んでいた。私の心はまた服従の用意をした。 ─ 飛べ! 私は促されて土を蹴った。私の心は急に怒りに満ち溢れ、鋭い悲哀に貫かれて、 ただひたすらにこの屈辱の地をあとに、あてもなく一直線に翔つていった。 感情が感情に鞭うち、意志が意志に鞭うちながら─。私は長い時間を飛んでゐた。 そしてもはや今、あの惨めな敗北からは遠く飛び去って、翼には徒労を感じ、 私の敗北の祝福さるべき希望の空を夢みてゐた。それだのに、ああ! なほその時私の耳に近く聞こえたのは、あの執拗な命令の声ではなかったか。 ─ 啼け! おお、今こそ私は啼くであらう。 ─ 啼け! ─ よろしい、私は啼く。 そして、啼きながら私は飛んでゐた。飛びながら私は啼いてゐた。 ─ ああ、 ああ、 ああ、 ああ、 ─ ああ、 ああ、 ああ、 ああ、 風が吹いてゐた。その風に秋が木葉をまくやうに私は言葉を撒いていた。 冷たいものがしきりに頬を流れてゐた。
追記:ちいらばさんのお気に入り「郷愁」を追加して載せてみました。
これも、心を打つ詩でした。
これも、心を打つ詩でした。
蝶のやうな私の郷愁!......。蝶はいくつか籬(まがき)を越え、午後の街角に海を見る......。 私は壁に海を聴く......。私は本を閉ぢる。私は壁に凭れる。隣りの部屋で二時が打つ。 「海、遠い海よ! と私は紙にしたためる。─ 海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。 そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある。」